コラム

和三盆の話 -その1

 

今回からは、国産のお砂糖の代名詞「和三盆糖」についてご紹介いたします。
まずは、和三盆の歴史と風土についてです。
お砂糖が日本に伝えられたのは8世紀、中国の僧侶「鑑真和上」でした。
当時は薬として伝えられ、正倉院の宝物名簿にも記載されています。
14世紀には、茶の湯の広がりとともに和菓子が流行し、中国から砂糖(当時は唐三糖と呼んでいました)を盛んに輸入していました。
その後、江戸時代の鎖国を機に国内でも砂糖が作られるようになりますが、サトウキビの産地が栽培に適した南西諸島に限られていましたし、作られる砂糖も黒糖が一般的でした。
やがて18世紀の頃、8代将軍の徳川吉宗が亨保の改革において、全国各地にサトウキビ栽培を発布し推奨しました。
その推奨に呼応し、特産物創生と財源確保を目的としてほぼ同時期に、徳島藩と香川藩もサトウキビ栽培を盛んに行ったようです。
しかし、製法までは伝えられなかったので、当初、サトウキビは沢山出来ても砂糖が作れない状態だったそうです。
当時作られていたのは、白下糖と呼ばれる含蜜糖(黒糖・黍糖等)にあたりますが、サトウキビをしぼり、煮詰めるだけの工程で作れ、その上、簡易な設備で簡単に製造できる事が冬場の農閑期にあたる農家がお砂糖作りを始めるキッカケにもなりました。

三温糖
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